しゅんびず

これまでに現場で年間改善額500万を達成してきた私が、「これは役に立つ!!」と思える本を自分のノウハウを交えて紹介していくブログです!

ープロフィールー

プロフィール

 

 

このページからこられた方は

はじめまして!しゅんまると申します!

 

ここでは、

「なぜ僕がブログをはじめたのか?」

を少し昔の原体験をさかのぼって聞いてほしいと思います

 

現在35歳

工場主任✨

年収650~700万✨

一軒家持ち✨

 

という一見すると

まぁまぁ成功している、一般的な出世をしていっているといった印象かもしれません

 

でも実感としてはまったく裕福だと感じていません

お金も持っていると思った事もありません

 

それはなぜかというと

「負のループ」にどっぷり漬かってしまっているからなんです…

 

「負のループ」ってどういうことかというと、

田舎の方の考え方としてありがちなんですが、

 

「そこそこの企業に就職して、お金を貯め、出来るだけ早く結婚し、一軒家を立てれたら、ようやく一人前だ!!」

 

みたいな凝り固まった考え方があって

 

貯めたお金を、結婚式で使い果たし、一軒家を35年ローンで借金をして、一生をかけてお金を払い続ける

 

という負のループです

 

いまでこそ

・貯金はするべきではない

・一軒家は買うな、賃貸が最強

・投資をする(つみたてNISA、NISA、iDeCo等)

など、金融リテラシーが一般的に広がっているのでそこそこ田舎暮らしでもそういった発想はなくなっては来ていますが、当時僕が働き始めた時はそんな知識はありませんでした

 

つまりは、僕はこの負のループにはまった

一般的な30代会社員なのです

 

負のループから抜け出すための「ブログ」

そういってもいいかもしれません

 

では、少し過去にさかのぼるのでもしよろしければお付き合いください…

 

 

幼少期

 

幼少期

生い立ちから軽く説明したいと思います

 

一人っ子として生まれた僕は物心ついた時から

母と祖母と3人暮らしでした

別に親父が何か悪い事をしたわけではないみたいなんですが、すでに離婚していました

 

が、金銭的に何不自由することなく暮らせていた印象でした

母子家庭だから金銭的な問題があるとかはありませんでしたね

 

そのかわり、母も祖母も仕事に行き、ほぼ保育園で遊んでいた記憶しかありません

 

朝6時くらいに祖母が僕を保育園に連れていき、まだ保育士さんが出勤していない時間なので、給食のおばちゃんがカギを開けてくれていました

 

毎朝、1番に登園していました

 

今、「親の立場」になって思いますが、ホントにつらかったんだろうなぁと思います

 

感謝しています 

 

毎朝、孫を連れて15分ほど歩いて保育園に連れていき、自分は仕事へ行く

 

僕なら仕事前に連れていってから仕事なんて考えられません…

 

ところで、

僕の保育園内での思い出は

給食の時間にどうしても食べられないピーマンを残して、食べるまで絶対遊んだらダメと言われてずっと机に座らされた思い出が一番残っていますww

 

当時だからよかったものの、

「今なら完全アウトなんじゃ…?」

と思ってますw

 

たぶん1~2時間は机にずっと座っていた記憶があります

 

でもあるとき、2時間たっても、3時間たっても先生は許してくれる様子じゃなかったので、僕はどうしても遊びたくなって、あることを思いつきました

 

先生がフラッと教室から出て行ったのを確認して、当時1Fの教室だったので小窓からピーマンを全部口いっぱいに入れて捨てるという事をしていました

 

なんであの当時こんな発想が出てきたのかわかりませんが、ずるがしこいやつですww

 

しかし、それもばれてしまいます

 

ある日、

最近保育園の周りに野犬がやけにウロウロしていて危険だという近所の住民からの通報があったみたいで

 

いろいろ調べていったところ、ある1か所のところにいつも集まっているという噂がたったらしく調査を続けていくと

 

「僕の小窓」でしたww

 

どうやら僕が吐き捨てていた「ピーマン」や他にも嫌いな野菜の「トマト」、「キノコ類」を野犬がそれを目的に食べにきていたらしいのです

 

当然親も呼び出されて教育的指導を受けたみたいですwww

 

いい思い出です♪

 

ちなみに今ではピーマンは食べられますww

トマトとキノコ類は一生食う気はありませんwwww

 

暗黒の小学生期~明るい中学生期

 

小学生

小学校は暗黒時代…いわゆる「黒歴史」ですねぇ…

2点苦しかった思い出があります

 

1点目はまず、勉強で速攻つまづいてしまいました

「算数」が一番苦手でした!!

というよりは計算が苦手だったのです(今でも暗算が苦手です)

 

足し算と引き算が壊滅的にできなくて、3年生か4年生まで手を使っても計算できていませんでした

 

その様子を見て当時、母親はこう思ったそうです

 

「あぁ…この子は発達障害なのかな」

「将来は高校入学もあきらめないとダメだな」と

 

ところが、担任の先生が非常に熱心な先生だったらしく、

「あきらめないでください!」と母親に勇気づけ続けてくれて

塾に入ることを薦めてくれたらしく、塾に入ってから計算ができるようになりました

 

この先生が居なかったら僕はどん底のまま将来を生きていってたのかもしれません

 

その理由が2点目の

いじめです

 

僕はそこまで別に性格が暗いわけでもなく、ひねくれていたわけでもなく、貧乏だったわけでもありません

 

母子家庭でしたが、母も祖母も一生懸命働いてくれてゲームも買ってもらったりして、お金に困っていたことはありませんでした

 

当時、まったくいじめられていた理由がわかりませんでした

 

今となってはわかるんですが、いじめというのは別に理由があるからいじめるわけではないということです

 

特に理由がないけど、おもしろいからいじめる

 

僕はよくある「集団」でいじめられていたわけではなく、ある一人の子からいじめられていました

 

その取り巻きは何もするわけではないんですが、その子一人から意味もなく

 

いきなり殴られる

蹴られる

つねられる

モノを投げられる

 

そんなことは毎日でした

 

ある時は、なぜか

 

「うん○を踏んでここで一生動くな!!動いたらボコる(殴る)からな!!」

 

と言われて日が暮れるまでずっとその場所でうん○を踏んで待っていましたw

今思ったら何がそんなに怖かったのかわかりませんwww

 

ただその子が命令したら絶対。

命令を聞かなかったら、ひどい目にあわされるという恐怖心しかありませんでした

 

そんななか、親友ができました

 

その親友は途中で転校してきた子だったのですが、とても頭の回転が速く、手先も器用で、僕とは正反対でした

 

理由を覚えてないんですが、転校初日にケンカをしました

 

何がきっかけでそうなったのか覚えていないんですが、いきなり取っ組み合いのケンカになってしまったのです

 

その時に教頭先生が止めに入ってきて、

片手で僕とその子をヒョイと持ち上げられて、めちゃくちゃ怒られました

 

そのあとに、「教頭先生、めちゃくちゃ怖かったなぁ!?」と二人で盛り上がって仲直りしたのを覚えています

 

そこからつるむ事が多くなり一緒に帰ったりすることも多くなりました

 

でも、僕はいじめられていたのでその子と帰れない時がしょっちゅうでした

 

すると、あるとき

「なんで一緒に帰れないんだ?」

と言ってきたときがあり、そこからいじめられていたことがバレてしまいます

 

するとその子は、

「いいからいっしょに帰ろうぜ!」

と言って、その日はいじめっ子の命令を無視して一緒に帰ってしまったのです

 

次の日、案の定いじめっ子は

「なに命令を無視してんだよ!!!」と言って

めちゃくちゃ怒って僕を殴る、蹴る、つねる…

 

おまけに親友もいじめっこに

「お前もいっしょだ!!」

と言われボコボコにされていました

 

なんでやり返さないのか不思議でしたが、たぶんやり返すと僕の仕打ちがまた一層ひどくなると思ったからなのかなぁと思っています

 

当時のことは恥ずかしいから聞いてませんがw

 

そこから、その親友もいっしょにいじめられることになってしまったのです…

 

でもまた「勉強」の時に助けてくれた担任の先生の力がありました

 

母親がいじめられているという主張を話したら、先生はいろいろを動いてくれていじめっこの親にも掛け合ってくれたりしていたそうです

 

ある日突然…「革命」が起こりました

 

自宅でゲームをしていたら

玄関のドアが開いて、そのいじめっ子が立っていたのです

「ど、どうしたの…?!」

と動揺しまくっていると、

「コレ、やるわ。いままですまんかったな…」

と一言だけ言って帰っていきました

 

「キャラクターの缶の箱」を置いていったので

その中を見てみると

 

いままで僕が取られたおもちゃや、いじめっこが使っていたおもちゃがぎっしり入っていました

 

僕は、月並みな言い方ですが、ほんとにポカーンとしてしばらくその場に立ちつくしていました

 

後日聞いた話によると、ついにいじめっこの親がいじめを認知したらしく、そうとうこっぴどく怒られたらしいです

 

こうして長かったいじめられっ子生活は突然終わりを迎えました

  

その後の小学校生活は平和そのものでした!

いじめっこはたまに顔を合わすものの、何も言って来ず

 

無事卒業を迎えられたのです

 

時は流れて、中学校に入学しました

 

地元の中学校は

小学校卒業生が全員中学校にいっしょに上がるので「ワクワク」とか「期待」とかそういったものは感じていませんでした

 

ただ、勉強が本格的になる事が嫌になっただけでした

 

中学に上がってからは楽しい事ばかりでした

 

1年生で初めて初恋を経験したり

部活はバスケ部入ったんですが、そこそこセンスがあったようでw

いきなり1年で2.3年生に混じって練習したり(1年から混じれるのは5人くらいしかいませんでした)

 

2年生になると学級委員を任されるようになりました

 

僕はめちゃくちゃ驚きました!!

 

あの、いじめられていて、足し算、引き算もまともにできなかった自分が学級委員長に選ばれるなんて…?!

 

思えば、小学校の頃に自己肯定感を破壊されて、完全に失っていたものが中学になってこの経験を気に少しづつ回復していったように思います

 

でも、なれたものの、学級委員長は大変でした

 

男子と女子の仲が究極に悪く、いじめも目に見える形で行われていました

 

僕は学級委員長という立場だったので止める事はできたのですが、まわりの人たちは完全に無視、もしくは、取り巻きになっていました…

 

僕はあの時、学級委員長じゃなくても止められていたのかなぁ…?なんて今でもふと思い出すときがあります

 

おまけに破天荒な悪ガキがいたので屋上でタバコを吸って住民から苦情来る

昔のストーブ(煙突があるタイプw)に紙を押し付けて燃やして窓から投げてどこまで飛ぶか競争したり…

 

学級委員長として責任を取らされる事ばかりでした 

 

 そんな大変な経験も経て、3年生も見事に学級委員長に選ばれてしまったんですが…

 

3年生になると今度は生徒会にも呼ばれるようになりました

 

結局執行委員にはならなかったのですが、生徒会の人と仲良くしてもらったおかげで面白い企画とか考える事に参加させてもらえて非常に楽しかったです

 

そこで出会った女の子との印象深いエピソードがあって、

僕は少しその娘のことが気になっていました

 

中学生にしては下校が結構遅めの19:00くらいに帰る事が多くなって

 

ある時

「いっしょに途中まで帰ろう!」

 

ってことになって、帰っていました

僕は「これがいわゆる、青春ってやつだなぁ…」

とか間抜けな事をお花畑状態で考えながら

 

ある交差点に差し掛かった時に

 

「じゃあ、家こっちだから…」と言って

 

しばらく黙った後に「じゃあね…」と言って

そのまま帰ってしまったのです

 

今思えば「送っていくよ」の一言を言うべきだったのにピュアな中学生には

ムリでした!!www

 

あの時言っていたらどうなっていたのかなぁ…なんてたまに思い出してますwww

 

とまぁ、結局なにも色恋沙汰は何もなく中学生活は終わりを迎えました

中学生活は人生の中で、もっとも面白くて、成長できた期間でしたね

 

そして僕は色恋沙汰もなく一転、

「工業高校」に入学しました

 

なぜ、「工業高校」なのか?

 

それは、

僕は母子家庭なので「県立高校」である必要があった(学費がだいぶ安い)

「工業高校」に入れば、就職に有利

 

というわけで

「県内有数の工業高校に入ろう」

とこうなったわけです

 

親に迷惑はこれ以上かけられないと思っての選択でした

 

なんだかんだ面白かった高校生期

 

高校生

高校に入るといままで仲が良かった奴はほぼいなくなり、どうやって友達を作ればいいかわからずだいぶ悩んでいました

 

思えば、

「無邪気な小学校時代」

に「友達」の意味すら分かってなかった時から遊んでいて、そのまま中学に上がったので初対面の同学年の子とどうやってしゃべっていいのかわからなくなっていました

 

なので、いっしょに中学の時の友達と通学する時だけが楽しくしゃべれる唯一の時間でしたね

その友達はクラスが違ったので着いたら離れ離れになっていたので…

 

ところで

僕が入学した科が

「情報工学科」

だったのでプログラミングを勉強していたのですが、はっきり言って

めちゃくちゃ嫌いでしたねwww

 

どうも症にあわないみたいですwww

始めて赤点をとりましたwww

 

今では

もっと勉強しておけばブログするにも役立っていたのかなぁ…?

なんて思います…

 

その時に教えてくれたのが高校に入って初めての友達でした

その子は今、学校でプログラミングを教えているくらいすごいやつでした

 

ちなみに入学した時

「IT」

という言葉がすごい流行っていた時代でした

 

「これからはIT(情報技術)の時代だ!!かならずインターネットが来る!!」

 

と言われていた時代だったので就職も絶対IT関係に入ってやる!!と思って入学したんですが

 

入学してまず言われたのが

 

「ITの分野ははっきり言って高校を卒業するくらいの知識じゃ企業に入れてもらえません」

 

と言われました

 

おいおいおいおいおいっ!!?これ詐欺じゃね?!

 

って思ってましたwww

 

面接の時、どんな事がやりたいですか?って言われて

「IT関係の就職に就きたいです!!」って言ったら

「うん!!いいね!」って言ってたじゃん!!??ってww

 

というわけで、全然違うジャンルの仕事に就くわけなんですが…

 

その前に、高校生活の中で一番楽しかったといえば

部活でしたね

 

僕の高校には「ライフル射撃部」という部活がありました

 

中学時代「バスケ部」だったこともあり、完全に「バスケ部」に入部する予定だったのですが

中学時代の先輩がキャプテンをしていて、中学時代の地獄のメニューを丸パクリしていたのでまったく興味がなくなりました

 

で、「どうしようかなぁ…?」と

探していたときにこの「ライフル射撃部」と出会いました

 

なんとなーくゆるそうな部活風景

先輩は部室でトランプをして、外に出れば野球をして、すこぉぉぉぉしだけ練習するw

 

そんな環境が気に入って入りましたww

 

たぶん当時、そんな人ばかりだったんだと思います

 

体験入部の初日から50人くらい来て、めちゃくちゃ競争率たけぇじゃん?!入れるかな?!と思っていましたが、

 

1日経ち、2日経ち…最終日には結局20人くらいしか残っていませんでした

思った以上に地味な競技だったのでみんなやめたんでしょうwww

 

そんなこんなで僕は「ライフル射撃部」に入部しました

 

入部してから、僕の症に合っていたのかメキメキと腕を上げていきました

 

1年ですでに県内3位、2年で県内2位になって、春の全国総体団体戦のメンバーに選ばれました

 

うれしかったですね!先輩といっしょに行くのは嫌でしたけどww

 

全国ではやはりそんなに甘くなくて僕は入賞できませんでした

 

でも先輩は団体戦で2位?だったかな?に入って、すげぇと思いました!!

 

そこで僕はこう思いました

 

まてよ…?この射撃で全国入賞とかして実績ができたら警察(公務員)とかいけんじゃねぇか?!

 

と。浅はかでした✨www

 

これも後日談になるんですが、もし全国1位とかになっても、大学に行って、そこでも入賞とかして初めてオファーがくるかどうか?みたいな世界だったらしいですw

 

とまぁそんなこんなで3年生は練習を頑張りました 

2年生の時より頑張って居残り練習とかしてました

 

その成果があってか、3年生になってからは県内では無敵でしたwww

常に1位!!

そして、「春の全国総体」「夏のインターハイ」「秋の国民体育大会」

3大タイトル出場をしました

 

ただ単純に県外に行って観光するだけでも楽しかったですww

宮城、高知、静岡に行って楽しかったなぁ~✨ww

 

とまぁ高校生活は結構思ったよりもエンジョイしてきました

 

暗黒再来就職編

 

就職

さて、高校生活もあと少し…

進路の岐路に立っていたんですが

前述の通り、IT関係の企業には就職できないとわかっていたのでどこにしようか迷っていました

 

営業なんて人見知りのコミュ障の僕ができるわけがない

工場なんて暗い場所で毎日同じ事を永遠とやってられない

事務や会計なんて何をしているのすらもわからない

 

ITに入る気満々だったので何の準備もしていませんでした

たしか志望を出すのも僕が一番遅かったんじゃなかったかな?

 

結局、何もしたいことなんて見つからず

「ただ初任給が一番高いという理由」

だけで工場を選びました

 

 

(ちなみに工場で働く方に向けたブログも書き始めたのでよろしくお願いします)

shunmaru00.hatenablog.com

(2020.6.24時点 もうほぼ機能していません…すいません…)

 

この体験入社の時の印象がほんとに記憶に残っています…

 

僕の思っていた通りだったのです

 

みんな黙々と作業していて、暗く、油臭く、汚い作業服を着ていました

とてもじゃないがこんなところに就職して僕は大丈夫なんだろうか…?

 

と落ち込んだ記憶が鮮明に残っています

 

当時、僕の会社は「3K」と言われていました

「臭い、汚い、(作業が)キツイ」の頭文字を取って「3K」です

 

バブル期の「3K」の皮肉ですよね

 

でも、親の期待に応えるためになんとか頑張らないと…と思って入社したのです

 

入社してからが本当に大変でした

 

今までが体育会系の部活ではなかったのでこの(当時の)風土は僕には完全にあっていませんでした

 

声は張って出さないと怒られる

何もしていないと怒られる

失敗したら怒られる

2度目はもっと怒られる

3度目は殴られる

頭を動かすよりも体を動かせ

飲み会は強制参加

18歳の新人歓迎会はつぶされるのが伝統だと言ってフラフラになるまで飲まされる

飲酒運転当たり前(※絶対ダメです!!)

むしろ飲酒運転しないやつは仕事ができないやつだ!というわけのわからない理論をたたきつけられるww

 

本当に入社して3年くらいは絶望しかありませんでした

 

毎日車の中で泣きそうになりながら出勤していました

 

しかも、労働条件は最悪

当時は「残業規制」なんてなかったので、毎月「残業100時間」は当たり前に仕事をこなしていました

 

もうね、残業100時間超えてくると人間は感情がなくなってくるんですよ

 

なんのために会社に行っているのかなんて考えずに運転する

何をしているのかなんてわからずに作業をする

怒られても何も思わなくなってくる

 

ごはんを食べることよりも

「早く休憩所に行って寝たい…」

ってずっと思ってました

 

眠い眠い眠い眠い…しか考えてません

土曜日、日曜日も仕事なのでなにもする事がないんですよね

お金だけがたまっていきました

 

感謝しているとすれば「お金」が他の会社に就職した奴らよりも多かったということだけですね

 

18歳の新人が「手取りで月30万」もらっていたんですから

 

いまとなっては

「そりゃこんだけ働いていればそれくらいもらえるだろ!?」

って思えるんですが、当時はマヒしてました

 

「こんなにお金もらっていいのか?!」って

 

お金をもらっても使っているヒマがないのでどんどん貯まります

入社して1年で母親に借りていた100万を返しました

 

入社して初めて恩返しができているなぁと思った瞬間でした

 

でもそれと引き換えに体はどんどん疲弊していきました

 

体重が最高で50Kgまで落ちました 身長は170cmなんですが今から考えたら異常でしたねwww

 

顔も毎日クマができて、頬はコケていきました

 

あの時に遊んでいた友人と今会ったりすると

「太ったなぁ~」

って言われるんですが、

「いやいや、あの時が異常だったんだよ!!」

って言っています

(現在62Kg、標準です)

 

まぁそんなこんなでなんとか親に恩返しを続けたい一心で我慢して、我慢して5年目くらいでリーダーに抜擢されました

 

リーダーになると今度は「体を使わずに、頭を使う」事が要求されるので非常に戸惑いました

 

5年間ですっかり頭を使うという事ができなくなっていたんです

 

もともと頭の回転が遅い僕はしょっちゅう

「判断が遅い!!」

と怒られていました

 

結局どうやって頭を使えばいいかわからずに一時はリーダーを下ろされてしまいます

 

一時期はヤケクソになって

「もう一生俺は作業者としてラインで単純作業していこう!!」

と思って何も考えずに仕事してました

 

でもやっぱり年を重ねるとまわりの上司や社員も淘汰されていき

 

やっぱりリーダーを任命される時が来ました

 

ここで僕は心良く引き受けるんですが

その理由は当時の上司が当時にしてはめずらしい

「怒らない、しっかり教えてくれる、考えさせてくれる」

上司だったからなのです

 

やっぱり人は人によって変わるんだなぁとつくづく思います

 

この時に僕は選ばれて本当にラッキーだったと思います

ほんとに感謝しています

 

あの時知識を教えてくれなければ、技術を教えてくれなければ

今の僕はいないと思います

なので今僕はこの時の経験を生かして部下の育成をしています

 

殴られて育った親が子供をしつける時に殴るのといっしょで

殴られて教育された部下は上に立ったら殴る上司にしかならないのです

 

結局、回り回ってそのツケは本人に返ってくるのです

 

リーダーを任されて、ついに主任になる選択を迫られました

 

その時入社して10年が経っていました

 そして未来へ

未来へ


 

一時期、

僕は主任になることをためらっていた時期があります

 

それは「責任」というものが付いてくるプレッシャーに耐えられるのか?という自問自答でした

 

でも親の為、

その時には結婚もしていたので、奥さんの為

「主任になろう」

と決意しました

 

主任になれば仕切る事ができるので責任はついて回りますがうるさく言われることは少なったか

 

そこで僕は

「この部署で誰よりも成果を上げてやる」

と決めて

主任のもう一つ上の主任になる前の年に改善額500万を達成しました

  

こうして現在、主任の一つ上の主任になったというわけです

 

ここで思ったのが、

ずっと僕は誰かの期待に応えようとしてきました

 

学級委員長に選ばれた時

生徒会に選ばれた時

県立高校に入らなきゃと思った時

就職する時

昇格する時

 

いつも僕は自分の感情を押し殺して、やりたい事をせずにみんなの期待に応えようとしてきました

 

それが悪い事だったとは思いません

 

結局

応えてきたから、学級委員長になれたし、高校にも入れた、就職もできた、仕事も続いた、昇格もできた

 

でも、

今主任となって思う事は、

 

主任になってこれだけしかもらえないのか…

 

というお金に対する単純な喪失感です

 

一番初めの冒頭でも書きましたが

いわゆる田舎の考え方にのっとり過ごしてきた結果、

毎月赤字スレスレ、小遣いは月1万円、何も買えないふがいなさ…

 

いったい俺は会社で頑張ってきて何を得たんだろう…と

ふと思ってしまったのです

 

そこであるTwitterで見つけたのです

 

「ブログで月100万収益が上がりました~」

 

というツイートを。

 

なんだこれはっ?!と釘付けになりました

 

それからはひたすらブログに関する知識を集め、本を読み、記事を書く生活が始まったのです

 

ブログを始めてからは、

「何を目指してるの?」とか

「そんな事してる暇があったらバイトでもしてきてよ!」と

 

ドリームキラーと呼ばれる人からいろいろ言われます

 

でももうこんな生活は嫌だと、今まで必死に応えてきたんだから少しは俺の好きな事をさせてくれ!!奪わないでくれ!!!

 

と思って頑張っています

 

だから同じ境遇の人がいたら是非僕のブログを見ていっしょに頑張ってほしいです

 

「思考は現実化する」

僕はこの言葉が大好きです

 

思った事は実現できる力を持っているんです!!

 

いっしょに頑張りましょう!!

ワクワクする未来を作っていきましょう!!

少なくとも僕は出来ると信じています!!

 

みなさん見ていてください!僕が成功する過程を!!

 

よろしくお願いします。

 

しゅんまるでした✨